2011年1月16日日曜日

アジャイル・ワナビーの観察 1

Agile Manifestoover を挟んで左辺と右辺を対置し、右辺より左辺に高い価値を置くという形式になっている。

Individuals and interactions over processes and tools
Working software over comprehensive documentation
Customer collaboration over contract negotiation
Responding to change over following a plan

ただし原文を読むと分かるとおり、右辺の価値を認めた上で更に左辺の方がより重要だと言っているわけで、右辺を害悪や無価値なものと断じているわけではない。だから共にプラスの価値とした上での比較論、バランスの問題とも捉えられる。

従って、右辺の重みを減らすなら、少なくともその効用が減少した分以上は、左辺に由来する効用によって補償されていなければならず、でなければプロジェクトに負の影響が生じてしまう。

さてアジャイル開発者とは、投下したコストから得られる効用の比率が、右辺より左辺の方が高いと考える人であり、その具体的な手法を提示しているのが各アジャイル・プロセスといえるだろう。

但し、その手法=プラクティスは旧式の開発作法に比べ簡単だとは一概に言えず、それなりの知識と理解はもちろんの事、練習や工夫、或いは集中力が求められたりする(開発者としてはやり甲斐があるが)。

ところが、よくあるワナビな現場やプロジェクトでは、左辺の効力を増加させるための努力によってではなく、単に右辺を等閑視する事によってアジャイル開発になる(=生産性・品質が向上し変化に迅速に対応できる)なんて短絡的に勘違いしている人が未だに多い。

以下、個別に見てみる。差し当たり、左辺に関するプラクティスの巧拙については割愛し、右辺がなおざりにされる状況だけを記述する。

プロセスが閑却されるケース
今時、ルールでガチガチに固めた単に監査のためだけにしかならないような重量プロセスもどうかと思うが、軽量プロセスって言葉もあるとおり、アジャイルだからといってプロセス不要って事にはなるわけがない。

にも関わらず、なんちゃってアジャイルな現場では、この肝心のプロセスすら無視される。むしろ完全にその場しのぎの行き当たりばったりの仕事が「臨機応変」とさえ捉えられてしまう。

で、たまに組織の上層部の思いつきで、「暫定」標準プロセスが適用されたりするが、長引くデスマの中で有耶無耶にされ、反省も(従って改善も)されないから、永遠に「下手の考え休むに似たり」の悪しきオリジナリティから卒業できない。

反復型なのか非反復型なのかも判別できない、グダグダでノッペリした開発作業が、終わりの見えないまま続いたりする。

(tools に関しては「ツールを減らせばアジャイルに近づく」的な勘違いは、特に見られない。但し、いわゆるアジャイル系・ツールの誤用・過信は非常に多い。これは、ここでのテーマと違うので割愛。)

文書が閑却されるケース
文書の方が有効なコミュニケーション場面ですら、口頭=喋りで全てを伝えたがる悪癖に染まった現場も多い。伝える側は、無駄な文書化の手間が省けたと最初は思うが、何度も別の相手に同じ事を伝えている事に気づいて、初めて愚策だったと悟る(鈍感な人は、それすらいつまでも気づかないが)。

また、後のリファクタ・軌道修正が困難な箇所の設計すら個人の脳内で完結し、"Working software" が出来上がって来るまで他人のチェックが入らないため、後で一同頭をかきむしる事になるのもこのケース。(そもそもワナビな現場では、ユニットテストが後回しで、CIもロクに実現されていないから、そもそもアジャイルの意味での"Working software"と言えるのか疑問でもある。)

顧客交渉が閑却されるケース
最低限の契約交渉すらないというのは、つまりプロジェクト初期においては単なる安請け合い、末期には単に怒った顧客の言いなりに過ぎないケースがほとんどで、「協働」の本来の姿とはかけ離れている。

初期の交渉がテキトーだから、気が付いたときには既に顧客はイライラあるいは激怒し始めており、理性的にスコープを定める事ができなくなっていたりする。結局はプロジェクト外の上層部の長が出向いて、改めて不利な立場で交渉せざるを得ない羽目に陥る。

計画が閑却されるケース
ここまで記述してきたような、プロセスもなくスコープも定まっていないプロジェクトだと、従うべきプランなんて存在しようもなく、その場その時のアドホックな状況に反射的に反応しているだけとなる。

一応、後の変更を前提とした暫定プランが策定されたりもするが、ノウハウの蓄積の無い未熟な現場では合理的判断の根拠も無く、単なる思考停止の所産だったりする。


・・・というのが wannabe agile な現場でよく見かける愚行の一端。

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http://agilemanifesto.org/を見ると 2001 とあるから、そろそろ10年になるらしい。

既にアジャイル・プロセスを導入して成功している現場に定住している人から見ると、上述のような現場が未だにあることに驚くかもしれないが、一般的には意外と多い普通の状況だったりする。自分もリーマンショック以降、初めて知る事になったわけだが・・・。

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